お寺の宝物

釈迦金棺桶出現絵図

この釈迦金棺桶出現絵図は摩訶摩耶経が説く釈迦再生説法の場面が描かれています。釈迦の母・摩耶婦人が涅槃(迷いや苦しみのない世界)にかけつけると、釈迦が身を起して世の無常(とどまらず映り替わる事)を説いた様子を表現しています。
当山(このお寺)が所蔵する出現絵図はタテ158cm、ヨコ173cmで、昭和60年に信者の小甲佐一郎氏が描き、奉納しました。
オリジナルは京都国立博物館が所蔵しており、平安時代の11世紀ころに描かれたと言われ、国宝です。

七福神

毘沙門天

江戸初期制作されたという説がありますが、詳細な記録や裏書は残っていません。関東大震災後に日暮里から現在の高円寺に移転してきた時には既に存在していたことは確認されています。
毘沙門天と言えば、戦いの旗印・武人のイメージがありますが、もとはインド神話の財福の神・クベーラで、のちに彼は仏教を守る四天王の一人になりました。やがて毘沙門天は、財福を人々に与える存在として世に広まり、七福神の福の神となり、今日まで万人に親しまれています。
長善寺の「毘沙門天」は赤門をくぐり左手奥にある「番神堂」内に三十番神像と共に毘沙門天は安置されています。(令和4年1月修復)

土中出現の大黒さま

東京大空襲によって焼け野原になった日本橋。その地に店を構える老舗の和菓子店の土中から出現された銅で作られた大黒さま。ご縁があり、昭和50年代、当山に供養の引継ぎ依頼があり、今日まで長善寺本堂内陣にて大切に保管されてきております。
大黒天(通称;大黒さま)は七福神の一つの神さまとして知られています。
もともと大黒天は密教の伝来と共に伝わり、護法善神(仏法及び仏教徒を守護する神)として信仰されました。後になって大国主神と習合したことにより、柔和な顔つきの大黒天に変わっていき、五穀豊穣の神さまや、打ち出の小槌を持つことから商売繫盛・金運を高めてくれるご利益のある神さまとなっています。

子育鬼子母神

江戸時代、長善寺にお参りする岡部さんという女性がいました。この岡部さんは徳川幕府の三代将軍・家光公の初孫(綱豊)がスクスク育ち、またその次の子が無事に生まれて来られるようにと、長善寺に子育鬼子母神を寄進された、と伝わっています。
寛永3年10月、無事に2人目の男の子(吉忠)が生まれ、長男綱豊は後に六代将軍・家宣となり、次男吉忠は立派な武士・松平清武(まつだいらきよたけ)になりました。それ以来、この子育鬼子母神は十羅刹女と一緒に祀られ、安産、子育ての神さまと称されています。(一般公開はありません)

  • 上段が子宝鬼子母神
  • 中段下段が十羅刹女

鬼子母神とは

お釈迦さまは母でありながら、他人の子を食べてしまう鬼子母神を救うために、彼女が最も愛していた子を隠しました。彼女は探し回った末にお釈迦さまに助けを求めました。お釈迦さまは、子を失う親の苦しみを彼女に悟らせ、仏法に帰依させました。彼女は仏法の守護神となり、また、子供と安産の守り神となりました。
日蓮宗では、子安(子育て)鬼子母神のほか、鬼形の鬼子母神像を祀っている寺院もあります。

たろうと鬼子母神

平成26年(2014年)近隣の杉十小・杉三小・高南中が絵本プロジェクトの一環として、当山の子宝鬼子母神の話を題材に絵本を制作しました。

「杓子(しゃくし)お題目」お守り

日蓮聖人はお産で苦しむ妊婦のそばを通りかかった際、妊婦の家にあった杓子にお題目をしたためて手渡しました、というお話があります。
赤子は無事に生まれ、元気な子として成長しました。この家族は長善寺の檀家であり、墓所も現在まで残っております。

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