人には不孝がおそろしき事に候ぞ
『不孝御書』/弘安元年(1278) 聖寿57歳 (弘安2年 聖寿58歳説あり)
「父」の字の成り立ちは一説には手斧を持って大地を切り開く姿を表現し、「母」はその大地で子を育む乳房を表すとか。一方、「子」は大地から少し頭を出し、どんどん頭髪が伸びる様子を示しているともいわれます。
しかし昨今の世相を見るとその字に込められた思いが忘れられているように思えてなりません。
その原因の1つは親ならこうしてくれるはず、子ならこうあるべきとお互いが勝手に作り上げた理想像を押しつけ合っているためではないでしょうか。
この関係の潤滑油には「孝」があるでしょう。「孝」の成り立ちは成長の極みを表した「老」から生まれたとか。
不孝は不幸の始まり。先人の思いを振り返りたいものです。
『不孝御書』
本書は四条金吾頼基氏に与えられた『陰徳陽報御書』の一部であったといわれています。
聖人の言われる「不孝」とは人倫の親子関係に留まるのではなく、一切衆生の真の親である本仏釈尊の慈悲に気づかずに背くこと。それが最も重い罪になると戒めておられます。
【日蓮宗公式ホームページから引用】